ちいおりは"イエ"で、夢。
四国の中心にある神秘的な山岳地帯、祖谷。
その険しい峡谷には、かつて茅葺き民家が数多く点在していました。その原風景が消え去ろうとしつつある中、篪庵は「日本の田舎の美しさを残したい、伝統文化に根ざした環境にやさしいコミュニティーを作りたい」という夢をもってスタートしました。
篪庵は古民家や風習の保存に取り組みながら、ユニークで革新的な事業をもって村の再生を目指しています。
篪庵との出会い
東洋文化研究者アレックス・カーは、1971年に初めて祖谷を訪れました。そこは四国徳島の秘境の地。深い谷が長いあいだ外の世界を遠ざけていました。1185年、屋島の戦いに敗れた平家の落人が逃げこみ、隠れ住むようになったと伝えられています。現代でも、公家言葉の名残りが聞ける土地です。
1973年、アレックスは東祖谷の釣井集落にある茅葺き屋根の古民家を購入しました。典型的な祖谷の民家です。板張りの床に二つの囲炉裏。屋内は300年近くの間、囲炉裏の煙に燻され黒く光り、中でも太い桁と梁は印象的です。
家は「横笛」と「草屋」を意味する二文字をあわせて「篪庵(ちいおり)」と名付けられました。

家の造り
篪庵は釣井で現存するもっとも古い民家の一つで、元禄時代(1699-1720)に建造されたものと考えられています。同じ釣井にある木村家も同時期に建てられた家で、今では重要文化財に指定されています。二つの家は造りは共通するところが多く、大きさはともに8間(約16m)×4間(約8m)ほどです。二、三軒の武家屋敷は例外として、祖谷では最大の古民家です。
間取りは大きな座敷、居間、小さな寝間が二つと台所がありますが、座敷は宴会や特別な来客以外にはあまり使われず、家族は居間の囲炉裏を囲んで過ごしていました。

アレックスと篪庵
篪庵を購入する
アレックスが初めて祖谷に入ったのは1971年の夏です。その時すでに多くの家屋が空き家となり放棄されていました。1972年秋、アレックスは祖谷の集落、近隣の高知県の山、剣山の周辺を散策しはじめました。数百軒の民家を訪れた後、彼は釣井集落にある一件の空家を見つけ、1973年6月に購入しました。そのときすでに空き家になって17年。元々、喜多という家族(現在は篪庵のすぐ下方に住む)の家でしたが、空き家になるまでに、何度か他の家族が住んだ時期もありました。

近所の人達
アレックスが越してくると、近所の人たちはすぐに様子を見に来てくれました。ある朝起きると、誰かが持ってきてくれたキュウリが縁側にあったとか。すぐ隣の尾茂さんは、祖谷の古い習慣を教えてくれました。

家に名前をつける
初めの頃からよく訪れていた詩人の南 相吉とアレックス、村の子供たち(当時はたくさんの子供たちがいました)は、ある晩集まって家の名前を考えました。そして辞書をみて、小さな竹の横笛を意味する古い漢字「篪」を見つけ、草葺き屋根の家を意味する「庵」を繋げました。「笛の家」、篪庵の誕生です。
相吉が 古い曲に歌詞を付けて「篪庵の歌」をつくると、当時の村の子供たちはよくその歌をうたいました。1988年の屋根の総葺き替え、現在理事長を務める「篪庵トラスト」の設立など、アレックスは篪庵という家と共に活動を続けてきました。

執筆
アレックスは著書『美しき日本の残像』(1993)の中で、篪庵との出会いを書いています。
2002年には『犬と鬼』を出版しました。日本の田舎が過疎化により崩壊する様子、古い街角から歴史的遺産が失われていく様子、数十年にわたる公共土木事業によって破壊されていく景観の様子が描かれています。そして、持続可能な観光の可能性、ありのままの自然と有機農業の価値を訴えてきました。
アレックス・カー著書
- 『美しき日本の残像』1993年、朝日文庫
- 『犬と鬼』2002年、講談社学術文庫

